金沢の成り立ちを知ろう!

加賀藩(かがはん)〔もっとも広い時は、今の石川県と富山県〕のとの様がくらしたのが金沢城だよ。お城のまわりに広がる城下町は加賀百万石の城下町として発てんし、今に続いているんだ。

金沢の歴史(れきし)

金沢の歴史は1万年以上前の旧石器時代(きゅうせっきじだい)からたどることができます。その後、歴史は進み室町時代になると力を持った武士(ぶし)に対して、一向宗(いっこうしゅう)〔現在の浄土真宗(じょうどしんしゅう)〕のお寺とそのしんじゃ〔町や村にすむ人〕たちが戦い、お寺側が勝利する加賀一向一揆(かがいっこういっき)が1488〔長享(ちょうきょう)2〕年に起きます。武士が支配(しはい)できない「百姓(ひゃくしょう)の持ちたる国」のようになったと言われ、約100年続きました。それも1580〔天正8〕年の織田信長(おだのぶなが)軍のこうげきによって敗れ、その後は加賀前田家によって金沢は大きく発てんしていきます。

  • 現在の高尾城周辺

    □ 加賀一向一揆の主戦場となった高尾城(たこうじょう)周辺の現在のすがた

  • 二俣本泉寺山門(蓮如ゆかりの寺)

    □ 二俣本泉寺(ふたまたほんせんじ)山門〔浄土真宗を広めた蓮如(れんにょ)ゆかりの寺〕

  • 金沢の歴史

金沢城〔国指定史跡〕と金沢城下町

  • 延宝金沢図 城下

    □ 1673~1681年の間にえがかれた城下町図
    〔石川県立図書館「延宝金沢図(えんぽうかなざわず)」より〕

  • 金沢城下町図

    □ 金沢城下町図

  • 加州金沢城図

    □ 金沢城が建てられたことをえがいた図〔金沢市立玉川図書館「加州金沢城図(かしゅうかなざわじょうず)」より〕

  • 金沢城〔国指定史跡〕と金沢城下町
  • 金沢城ができる前は、加賀一向一揆を起こした本願寺(ほんがんじ)のお寺「金沢御堂(かなざわみどう)〔尾山御坊(おやまごぼう)〕」が1545〔天文14〕〜1546〔天文15〕年に建てられていました。金沢御堂のまわりには寺内町(じないまち)という町ができ、加賀国の中心となりました。その後、織田信長軍にせめこまれ、お寺の位置に金沢城がつくられました。江戸時代(えどじだい)には、加賀百万石の城下町としてさらに町が大きくなり、住む人の数もふえました。

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金沢城について

金沢城惣構(そうがまえ)〔金沢市指定史跡〕

城下町の周りは、みぞをほった堀(ほり)と土をもり上げた土塁(どるい)というかべでかこまれていました。これを惣構(そうがまえ)と言います。堀のはばは広いところで約10m以上、かべの高さは約5mもありました。金沢の惣構は、だんだんと、かべがくずされ、堀もほとんどがうめられましたが、今も用水などとなってそのすがたをとどめており、当時の惣構の大きさがわかる、日本で数少ないものです。

  • 西内惣構跡主計町緑木苑内遺構

    □ 西内惣構跡主計町緑水苑内遺構(にしうちそうがまえあと かずえまちりょくすいえんない いこう)

  • 西外惣構跡升形遺構

    □ 西外惣構跡升形(にしそとそうがまえあとますがた)遺構 復元イメージ

  • 升形遺構 発くつ調査のとき

    □ 升形遺構 発くつ調査のとき

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金沢城惣構跡の調査と整備

兼六園(けんろくえん)〔国指定特別名勝〕

  • 大名(だいみょう)の加賀藩主前田家(かがはんしゅまえだけ)が金沢城の外に庭としてつくった兼六園は、日本三名園のひとつとして知られています。五代目の加賀藩前田家当主であった前田綱紀(まえだつなのり)のつくった「蓮池庭(れんちてい)」が兼六園のはじまりとされており、その後も前田家当主によって整備が進み、現在のような庭園になりました。また、園内では犀川(さいがわ)の上流から水を引いた辰巳用水(たつみようすい)の水を、池やふん水に使っています。

    兼六園〔国指定特別名勝〕
  • 兼六園〔国指定特別名勝〕

    □ 兼六園 霞ヶ池(かすみがいけ)

  • 現ぞんする最古のふん水

    □ 現ぞんする日本最古のふん水といわれている

  • 発くつされた辰巳用水(たつみようすい)石管〔金沢神社横〕

    □ 発くつされた辰巳用水石管〔金沢神社横〕

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兼六園について

辰巳用水〔国指定史跡〕

辰巳用水(たつみようすい)〔国指定史跡〕
  • 犀川上流の上辰巳町(かみたつみまち)の東岩(ひがしいわ)から水を引いた用水です。金沢城と城下町でおきた大きな火事をきっかけに、1632〔寛永(かんえい)9〕年につくられました。ずい道というトンネルをほった部分があるほか、とても小さなかたむきでほり進められており、短い期間でむずかしい工事を完成させたようです。

    隧道の中

    □ ずい道の中

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辰巳用水

金沢の歴史年表

時代 年代 西暦(年前) 金沢での主な出来事と日本の歴史
旧石器   山や川、海で狩猟(しゅりょう)・採集生活をしていた
縄文 (約12,000年前)
(約3,000年前)
丘陵(きゅうりょう)や台地に定住し、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)に住むようになる
大きな木を用いた建物が建てられる
弥生 (約2,300年前) お米作りが伝わる
方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)というお墓が造られる
環濠集落(かんごうしゅうらく)というみぞでかこまれたムラが営まれる
古墳 (約1,700年前) 前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)という大きなお墓が造られる
勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)などの首飾りをつくるムラが現れる
須恵器(すえき)という陶器(とうき)が伝わる
奈良 710年 平城京(へいじょうきょう)に都をうつす
寺院の建立(こんりゅう)が始まる
荘園(しょうえん)という土地の開発が始まる
平安 794年
818年
823年
1183年
平安京(へいあんきょう)に都をうつす
東大寺領横江荘(とうだいじりょうよこえのしょう)という荘園が成立
越前国(えちぜんのくに)の東側が加賀国(かがのくに)として立国(りっこく)する
加賀武士団が木曽義仲(きそよしなか)と京都へ向かう
鎌倉 1185年 全国に守護(しゅご)・地頭(じとう)が置かれる
武士の館が造られる
室町
1488年
1546年
1583年
港町が栄える
加賀一向一揆(かがいっこういっき)が起こる
金沢御堂(かなざわみどう)建立(こんりゅう)
前田利家(まえだとしいえ)の金沢城入城
江戸 1603年
1631・1635年
1632年
1658年
1759年
金沢城下の町づくりが進む
寛永(かんえい)の大火(たいか)という大火事がおきる
辰巳用水(たつみようすい)が造られる
土清水塩硝蔵(つっちょうずえんしょうぐら)という火薬製造工場が操業(そうぎょう)開始
宝暦(ほうれき)の大火という大火事がおきる
明治 1868年 明治維新
大正 1912年
1914年

第1次世界大戦がおきる(~18年)
昭和 1925年
1941年
1950年

太平洋戦争がおきる(~45年)
建築基準法(けんちくきじゅんほう)という法律(ほうりつ)が制定される
※これ以前の建物を「金澤町家(かなざわまちや)」などのれきしケンチクとしています

コラム:歴史都市ってなに?

  • 歴史都市 コラム

    古くに建てられて今も残っているれきしケンチクや、れきしケンチクが建ちならんでいるまちなみ、またそこで昔からの伝統を伝える人々の生活や文化がいっしょに残されており、古くからある大切なものを生かしたまちづくりを進めている都市を「歴史都市」とよんでいます。

    国から「歴史都市」にみとめられた金沢市では、これまで残されてきたれきしケンチクなどの大切な建物やまちなみの風景とともに伝統芸能や工芸技術を守り伝え、またその職人を育てることにも力をいれています。

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歴史都市金沢のまちづくり

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  • 金沢城にはかつて天守(てんしゅ)という城の中で最も高い建物がありましたが、かみなりが落ちてもえてしまってからは、ふたたび建てられることはありませんでした。
    ただし、別の建物が天守の代わりをしていました。
    その建物の名前はなんでしょう?

    • ①辰巳櫓(たつみやぐら)
    • ②多門櫓(たもんやぐら)
    • ③三階櫓(さんかいやぐら)
    • ④菱櫓(ひしやぐら)

    A: ③三階櫓(さんかいやぐら)

    天守が焼失したあとは、三階櫓が天守の代わりとなって建てられていました。中は5階までありましたが、外から見ると3階建てのように見えるためにこの名前がついています。1631年に寛永の大火で焼失したあと、再建(さいけん)されましたが、1759年の宝暦(ほうれき)の大火でふたたび焼失すると以後は建てられませんでした。

    辰巳櫓は、城内の辰巳(たつみ)の方向〔東南〕に建てられていた櫓です。
    多門櫓は、現在も建っている国重要文化財の三十間長屋のことで、石垣(いしがき)の上などに建物が長く続く長屋形式の建物を多門櫓とよんでいます。
    菱櫓は、復元整備(ふくげんせいび)された五十間長屋につながる櫓で、平面形が菱形(ひしがた)になっているとてもめずらしい建物です〔写真〕。

    三階櫓(さんかいやぐら)