れきしケンチクにはどんなものが
あるのだろう?
金沢には江戸時代(えどじだい)に建てられたれきしケンチクが多く残っているよ。それらの建物は住む人や使う人によって、建物の形がちがっているよ。
金沢に残るれきしケンチク
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日本のくらしがゆたかになると、古くに建てられた家などの建物が建てかえられ、現代的な新しい建物が増えました。新しい建物が増えると、当然ですが古いまちなみも少なくなっていきました。
古い建物〔れきしケンチク〕や古いまちなみは金沢の大切な個性のひとつと考えています。ここでは、その古い建物やまちなみについてしょうかいします。
□ 東山ひがし
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□ 主計町(かずえまち)
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□ 卯辰山(うたつさん)ろく
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□ 寺町台
城の建物
1592〔文禄(ぶんろく)元〕年、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命令を受けて九州に出向いていた前田利家は、留守番をしていた息子の利長に金沢城の本格的な整備を命じました。城のまわりには大きな堀(ほり)や高くてじょうぶな石垣(いしがき)が築かれました。
その中に天守(てんしゅ)という高い建物がそびえ立ち、加賀百万石を代表するりっぱなものになりました。その後、火事のたびに建てかえられ、現在は江戸時代後期〔1800 年ごろ〕のすがたに復元整備(ふくげんせいび)されています。
また、石垣造りは、当時最高の技術を持っていた近江国(おうみのくに)〔現在の滋賀県〕の石工(いしく)集団・穴太衆(あのうしゅう)がたん当しました。石垣に使う石のほとんどは、金沢城から8kmほど東にある戸室山(とむろやま)から切り出された戸室石(とむろいし)でした。現在の石引町(いしびきまち)は、城造りの石を引いたことで付けられた名前です。
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□ 金沢城
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□ 尾山神社と金沢城を結ぶ鼠多門橋(ねずみたもんばし)と鼠多門
武家屋敷(ぶけやしき)
江戸時代に武士(ぶし)が住んでいた家です。まわりを土塀(どべい)というねん土を固めて作ったかべ〔下級武士は木をならべて植えた生垣(いけがき)〕でかこまれたしき地の中に独立して建っていました。中には門から入り、建物のほか、緑も多く、小さな庭園も作られていました。
金沢の武家屋敷は、古くは平屋建て〔1階建て〕の妻入り〔1階建てで、屋根の△側にげん関があること ※上のイラスト〕、屋根は板葺(いたぶ)きで上には石が置かれる石置き屋根でした。正面のかべ〔妻かべという〕は、かべの漆喰(しっくい)と梁(はり)、束(つか)、貫(ぬき)を表にして角材をたて横に組み上げた格子状のもようを見せる、特ちょうのあるかべになっています。
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□ 越村邸(こしむらてい)
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□ 旧平尾家(きゅうひらおけ)
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□ 大屋家(おおやけ)
町家(まちや)
町家は、商人や職人たちなどの町人が住んでいた家です。道路に面して建物が建ち、となりの家同士がくっついていました。げん関のある側の建物のはば〔間口という〕はせまく、おく行きが長いのが特ちょうです。
金沢の町家は、古くは平屋建ての平入り、屋根は板葺き石置き屋根でした。1階正面の柱間には、「しとみ戸」とよばれる上下2まいの横板戸が入り、店として開放できるように正面を開けた建物の内側にしまうことができました。
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□ 金沢市老舗(しにせ)記念館
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□ 旧松下家(きゅうまつしたけ)
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□ ひがし茶屋休憩(けい)館
農家住宅(のうかじゅうたく)
農家は、城下町のまわり、郊外(こうがい)の農村に建っていた建物で、ほとんど全てが茅葺(かやぶ)きでした。
江戸時代の金沢の農家は、茅葺きの大きな三角屋根で、げん関は妻入りを特ちょうとします。その茅葺きはすがたを消し、現在の金沢に残る農家住宅のほとんどが、切妻造(きりづまづくり)・妻入り形式の瓦葺(かわらぶ)きで、「あずまだち」とよばれています。
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□ 旧園田家(きゅうそのだけ)
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□ 旧園田家の室内の様子
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□ 伊東家(いとうけ)
寺院の建物
日本の寺院建築は、6世紀の仏教の伝来に大きく関係しています。仏教が大陸より日本に伝えられた時、同時に渡来(とらい)した建築技術者によって中国式の寺院が建てられました。このころの建物は、世界で最古の木造建築で世界遺産(せかいいさん)や国宝(こくほう)となっている奈良県(ならけん)法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂(こんどう)、五重塔(ごじゅうのとう)、中門(ちゅうもん)、回廊(かいろう)などです。
金沢の寺院は、城下町ができた江戸時代に建てられたものが残っていますが、18 世紀後半に大きな火事があったため、その後に建て直された建物が多くあります。また、お寺の宗派〔浄土真宗(じょうどしんしゅう)や日蓮宗(にちれんしゅう)などの団体〕によって建物の形が変わるのが寺院建築の特ちょうです。
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□ 妙立寺(みょうりゅうじ)
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□ 本光寺(ほんこうじ)
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□ 高岸寺(こうがんじ)
神社の建物
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日本の建築のなかでも、昔からの建物の形を守り続けてきたのが、神社建築です。本殿(ほんでん)の基本的な分類に、げん関の方向で決まる妻入りと平入りがあります。妻入りは、古代の住居が元になったもので、平入りは米などを入れていた倉が元になったものとも言われています。それぞれ、大社造(たいしゃづくり)と神明造(しんめいづくり)を最も古い形とし、いろいろな発てんをして、さまざまな形式が生まれています。
金沢では、明治時代から後に建てられたものが多く、江戸時代に建てられたものはあまり残っていませんが、古いものでは江戸時代前期に建てられた尾﨑(おざき)神社や大野湊(おおのみなと)神社があります。
□ 尾山神社
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□ 宇多須(うたす)神社
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□ 尾﨑神社
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□ 久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)
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金沢の町家のお座敷(ざしき)で使われる、ふつうの家では見られない代表的なかべの色はなに?
- ①青
- ②赤
- ③金
- ④黒
A: ②赤
前田家の当主が奥方のために建てた兼六園内にあるお屋敷〔現在の成巽閣(せいそんかく)〕に赤色〔朱(しゅ)色、べんがら色ともよばれる〕のかべが使われてから、お金持ちの農民や町民にも広まったよ。金沢湯涌江戸村の旧山川家や金澤町家情報館(かなざわまちやじょうほうかん)で見学できるので、カラフルなかべをじっさいに見に行ってみよう!